きもの

きものは自由でいいのです

きものにスニーカー履きたければ履けばいいし、

パーカーをInしたかったらすればいいし、

対丈で着たかったら着ればいい、と思います。

 

で、白半衿・白足袋できものを

着るのが好きならそうすればいいし、

お太鼓が好きなら別に

帯でWリボンすることないし、

季節のルール(慣習)も大事と思うなら踏襲すればいいのです。

 

いーじゃん……と思うわけです。

 

私はどちらかというと、

いまは白半衿・白足袋が好きで(若い頃は違った)、

靴はあわせないほうで、

でもKAPUKIさんの革の帯ベルトは欲しいと思っていて、

黒羽織と紋はカッコイイと思うから

エルメスのスカーフを羽裏にした黒羽織には

一つ紋をつけて作って、

まあまあフォーマルじゃないシーンや“普段”にも着ています。

 

それがナニか?

 

でも、フォーマルでは……という言い方がそもそも、

カジュアルと対峙していて好きじゃないのですが、

現代の礼装もしくは正装として捉えられている服装は、

自分のためではなく誰かのために着るという、

「祈り」があるものだと思っているから、

その時代の価値観や美意識に

添うことは大事だと思っています。

 

花嫁衣装でさえ、自分のためではなく、

相手のためであり、自分の家族のためなのだから。

あらたまったシーンにおけるきものは、

現代では“結界”だと思っています。

 

自由に着るカジュアルはステキです。

時代の尺度にそった正装はカッコイイです。

 

正統派やフォーマル志向でさえ
“自由”の範疇なのです。
そうしたければすればいいというだけの話です。
時代のなかで着るものが変わらないって、
ヘンじゃないですか。
変わることを恐れる人々は利害でしかないんじゃないかなあ。
と思うのは、ちょっと過激ですか?

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