「キレイな着方」の完成形考。
ちょっとしたことから……
あと24年間働く成り行きになっていることが発覚(笑)。
でも、そもそもそこまで生きないほうに自信がある、などと、
冗談のような本気のようなツイートを、密かに(笑)したところ、
「うんと長生きして、襟元ゆったり、
でも涼やかな着姿の完成型を見せて下さりませ~~~!」
という、びみょーにw ウ、ウ、ウレシイ~ レスが ^^;
確かにおばあちゃんの年代しかできない着こなしがあります。
衿芯を入れないで、上半身がきものの中で泳ぐようなゆったり感。
帯も、わざと?なくらい、曲がっていたりする……のが、またかたちになっている。
かつて『月刊アレコレ』で、「映像の向こう側」という、
松竹衣装のベテラン衣装さんのコラムを連載したことがありました。
その衣装さんの言い方を借りると
「昔は、日傘をさして、夏物を“ざくっ”と着たおばあちゃんを
銀座あたりでよく見かけたけどね、かっこいいんだよね~。
僕らプロが着せようと思っても、ああいう着せ方はできないね」
“ざくっ”とは、カタカナの“ザクッ”とではなく、
織物だけれど、もう少し布の柔らかさがある、平仮名の“ざくっと”、なんですね。
「キレイな着方」と言います。
私達が目指している、あるいは共有している「キレイな着方」のビジュアルって、
多分、寸法があっていて、シワがあまりない、布がカラダにピッタリついている、
そんな着姿だと思います。
実際、撮影のときはそこを目指します。
でも撮影のときは着る人(モデル)に“人格”がないワケです。
極端かもしれませんが、マネキンに着せる感覚の美しさやキレイさを目指します。
でも、一般で着る人はそこに“人格”があります。
年代、職業、性格、好み、様々な人生の経歴も含めて、その人らしさという“人格”。
「キレイな着方」と言うより、「美しい着姿」は
その人らしさを表現できている着方なのだと思うのです。
してみると、「キレイな着方」を追っている私たちは、
まだまだ未熟なのかもしれないなあと。
おばあちゃんの「“ざくっ”とした着方」――それって、確かに“完成形”かもしれない。
かつて、「私の老後の目標は、人が言えないようなことをズケズケ
「人に嫌われるババア」になることと言ってたのですが(笑)、
しかし、「すでに目標達成してる」と言われ
サッカーの中田のように、将来の自分探しをあらためてしなければ
「完成形の着姿」――ひとつ、老後の目標ができましたワ