取材

『月刊アレコレ』きものびと十人十彩

 

『月刊アレコレ』最新号Vol.93「きものびと十人十彩」は、初の小学生です。


 


コラム「アレコレ通信」でも触れましたが、先月、取材も兼ねて、


全国から集められた、着る人を待っているきものを、


被災した皆さんにお渡しするプロジェクトのお手伝いに気仙沼に行って来ました。


各回を8回に分けて、集まったきものをアイテムごとに分類して、


お持ちいただく点数を決めて選んでもらいました。


まる2年が過ぎたばかりでした。


お手伝いなんてえらそうなことを言いましたが、来場した皆さんがきものを選ぶお手伝いをしただけなのですが、着る場に合わせたアイテムや、コーディネート、サイズや、好みなどを聞きながら、一緒に並べられた中からきものを探してお渡しすると、ほんとうに皆さん、喜んでくださった。


そんなお手伝いができたことに、むしろ感謝です。


それは私だけでなく多くのお手伝いした参加者が同じ感想を持っていました。


心から、ありがとうございましたと。


 


ところで気仙沼は、小学校の卒業式に袴で臨む子どもたちが多いのです。


つい4~5年前からのことなのですが、


卒業式だけのために新調する晴れ着も、制服で育ち盛りとなる中学生では着る機会もないまま、1回きりでお役御免になることが多い。


それってもったいない、ということで、だったらお母さんや叔母さん、あるいはおばあちゃんの着物を肩上げして袴を着けたら、ムダにならないし、いい思い出になるし、着物も生きるという素晴らしい提案をした人がいたのです。


確かに、袴を着ければ着丈は関係ないし、袴自体はそれほど高価ではないし、レンタルもできる――それで最初はチョボチョボだったのが、2~3年であっという間に広がったというのです。


なにしろ、可愛いしね^^


 


今回、取材した小学生のマユちゃんは2歳違いのお姉ちゃんがいます。


2年前に、姉妹がそれぞれ卒業式に着るなら、ということで、お祖母ちゃんがお祝いに作ってくれた着物を着て式に臨みました。


その着物は、お祖母ちゃんやお母さんと姉妹2人で選んだ、洋花の可愛い小紋。


本格的な友禅で、小紋としては高価なものだったといいます。


でもまずお母さんが気に入り、姉妹2人もとても気に入って、その着物に決めたそうです。


それが震災の前の年の秋。


そして3/17の卒業式を前にした、その3/11の震災。


一緒に着物を選んだ姉妹のお母さんは震災で亡くなりました。


 


たまたま、まだ仕立て上がったまま、まだ引き取らずにいた着物が、呉服屋さんで泥とヘドロにまみれて残りました。


お姉ちゃんは着物を着ることはもちろん、卒業式さえもなく中学校へ入学しました。


その呉服屋の女将が、被災したその着物をなんとか蘇らせたくて、洗い、染めの工房へ送り、手をつくしてなんとか着られるまでに再生させたのです。


 


震災の年の秋。マユちゃんのお姉ちゃんは呉服屋の女将の推めで、


再生した着物を着て袴をつけて、記念写真だけは撮りました。


そして、今年はマユちゃんがほんとうの卒業式で着たのです。


 


可愛いでしょう? 撮影していても、マユちゃんはちょっと緊張した面持ちで、はにかんでいたのですが、頼んでもいないお父さんのほうは1人満面の笑み(笑)、100点満点の笑顔(笑)。


ほんとうにウレシそうで、幸せそうで、そのお父さんの笑顔がまた、見ているこちらの胸を熱くしました。


家族4人で選んだそのきものは、姉妹にとって、また残された家族にとっても宝物です。


 


ところで、その着物。かなりいい染めの着物だと、お伝えしました。


当初は予算もあって、もう少し手頃なものを候補に挙げていたそうですが、姉妹もお母さんもその着物が気に入り、お祖母ちゃんも2人で着るものだからと奮発したそうです。


が、その女将曰く。


「もし最初の候補の着物を選んでいたら、残されていてもきっと再生はムリだったの」。


そちらはプリントだったので、とても再生の工程に耐えられなかっただろうと言います。


しかし選んだ方は本格的な友禅。「だからすこーし、色が褪せた感じは否めないけど、染め自体はきちんと残ってあそこまで再生したの」と、女将は言います。


インタビューしたお祖母ちゃんの榮子さんは「いま、暮らしていて、すべて娘が準備していってくれたと思えることがたくさんあります」と言っていました。


 

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