きもの

新之助上布の物語り。

新之助上布2
銀座松屋7階で、新之助上布展が開催されています。
新之助上布はここ2~3年、その名をよく聞くようになりました。
近江の麻と綿麻に特化した着尺や小物を制作しています。
写真の通り、そのポップな色、モダンな明るさが特徴で、
従来の麻織物にはないラインナップがたくさん揃っています。
先ごろ話題になった目白ゆうどさんで開催された
インディーズ井戸端きものマーケットにも出品なさり、
そこでやっとそのTwitterでおなじみのスタッフさんとお目にかかりました。
 「次の東京展はうちの師匠が行きますので―」
その東京展が今回の銀座松屋です。
機で実演していた方が師匠の大西さんでした。2代目の機屋さんです。
大西さんが継ぐ頃には麻は・・・というかきものそのものがダメになってきており、
まして夏物の麻ではやっていけないと、絹物も作るようになり、
やがてアパレルの生地も手がけるようになったそうです。
しかし、名前を聞くと誰もが知る一流どころのアパレルブランドのやり方を見ていて
「いつかうちを撤退するだろう」と思ったそうです。
   それは「うちじゃなくてもよくなる」
――つまり同じようなものを他で安く作らせるようになるだろう予測を大西さんはしたわけです。
ノウハウや商品を真似る・・・・どこの業界でもあることなんですが・・・。
そして案の定、少しづつ、少しづつ。
そしてアパレルブランドが完全に撤退する前に大西さんは決断します。
今のままじゃだめだと、「新之助上布」というブランド名を商標登録して、
麻に特化した、それまで作っていたいたものとは違う商品を製作するようになりました。
もちろん、実績ができて商標登録したわけではありません。
  「これから」の勝負のゴングともいえる、新之助上布の商標登録です。
  それが6年前です。
 
  そのとき大西さん、58歳です。
  58歳で、それまで何十年もやってきたことを置き去りにして、
  大西さんは新しいスタートをその地点から切ったのです。素晴らしくないですか?
  でも、それはそうしなければならない状況にあったということでもあります。
その新之助の立ち上げと前後して、アパレルが大西さんのところから完全撤退。
いってみれば大西さんは新之助上布にかけたわけです。
新之助上布3
大西さんが現在のような着尺を作るきっかけになった出来事があります。
相変わらず売れない中で、それでも催事販売へ出向き、自分が作った商品を自分で売っていたら、
   80歳くらいのおばあちゃんが私をみてこう言ったんですわ
   「あんた、その年でまだそんなことをしてるの」と。
その意味、分かりますか?
つまり、普通ならそろそろリタイアして年金や蓄えなどで
悠々自適の人生を過ごしてもいいであろう年代で、自分で細々織ったものを、
催事販売に出かけて自分で売らなければならないなんて、
暗に「お気の毒に」という意味が込められている言葉です。
そのとき、大西さんは思ったそうです。
   「こんな人たちを相手にした商品を作っててもあかん」
   「この先、何枚も、何十年も着てくれるような年(人)やない」
そういう人たちを相手に長いこと商品作りをしてきたことにハッとしたといいます。
それは呉服業界にそのままあてはまっていたことでもあります。
実際、大西さんも、新之助上布を立ち上げたものの、2~3年目は紺、黒、グレーといった地味な、無難な色ばかり織って、織れば織るほど在庫がたまる一方だったそうです。
新之助上布
ほんとうの意味で大西さんが大きく舵をとったのは、そのときだったのかもしれません。
気に入ってくれたらこれから何枚も、そして何十年も着てくれる30~40代の人たちに目線をおいた現在の、明るい、ポップな雰囲気も取り入れたもの作りを始めたのです。
それが2~3年前、ちょうど新之助上布という名前が人口に膾炙するようになった時期です。
  「やるか、やらんかです」
  「売れない売れないと、言いながらナンもせん人たちはそれまで」
  「うちはほんとうに、いつやめるか、すべてを無くすかという中で何十年もやってきてます」
  「私が40年近く続けてきたのは、いいときがなかったから、続けるしかなかったんです」
だから常に何かを考え、何かを仕掛けなければならなかったのだといいます。
40年近く前は15人いた職人さんや社員。
いまは1人で製作を続けている大西さん。
  「気が付かなければそれまで、行動におこさなければそれまでです」
大西さんの言葉にはそのひとつひとつに、厳しい現実のなかで何十年ももがき、迷いながら進み続けて人の実感が、ズンと心に落ちてきます。
そういう師匠のもとには、やはりスタッフが集まるものです。
多分、新之助は大西さんからバトンを受けるであろう素晴らしいスタッフもいて。
伝統技術が廃れていくとか、後継者がいないとか・・・・
確かに一社では個人では抗えないこともある。
でも大西さんをみていると、そこに何か行動を起さずに、
ため息だけをついて時に流されている人が多い気がする。
自分自身も含めて、時代に流されるなら、その流れる方向は定めて流れて行きたい、生きたいなあ。
昔、池田重子さんが「私はね、流されながら、流れたいところへ行き着く人なの」と
かろやかにほほほと笑っていらしたことを思い出した。
それって、柔軟に、でも意思を持って、生きるってことだよね。
■5月11日~17日 銀座松屋 7F 和の座ステージ
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