緑の目の友人。
高校生のときに、剣道の全国大会で出会った同い年の友人がいます。
彼女は十代のその頃からエネルギッシュで、チャーミングなコで、
たまたま同部屋になった大会中の4日間、一緒だった。
よーく話をした。でも、それだけ。
大会後は手紙でのやり取り。それもお互いそれほどマメなわけではなく。
しばらく空いた時間のあとの久しぶりの便りは、「あのカレ氏と結婚するワ」。
そして高島田の写真。男の子二人にも恵まれ、服飾関係の会社を起こし、独立したダンナの役に立ちたいと、中国語も習い始めた。
県代表で中国語スピーチの全国大会に出るほどのクレバーさ。
その全国大会で上京したとき、突然の電話で文京区の中国語会館近くの水道橋あたりで、再会を果たした。電話や手紙ではまだらな行き来はあったけれど、20年近く経ってる? お互いのいまを報告しあった。
それから間もなく。子供が小学校の頃からダンナの不倫と、愛人宅への入りびたりで別居状態の日々と修羅場が訪れ、
ダンナの両親と子供と暮らしながらも、息子である夫は何年も戻らずじまいだった。
高校生になった息子たちは、もう別れたらいいやんと言ってくれて、
やっと、もういいやと思えるようになった矢先、
緑内障が発症。失明の恐怖と、離婚することに使い果たす負のエネルギー。
落ち込むことはあっても、彼女は前を見ないことはなかったし、
自分のやるべきこと、自分だからできることを常に両腕に抱えていた。
ピアノの教師だった彼女は離婚した夫の母の面倒を見ながら、盲学校で学び、マッサージの治療院を開いた。
その頃、出張でその地を訪れた私は取材が終わって帰る前に、自宅に電話してみた。お義母さんが出て彼女は留守だった。
何度か電話を繰り返しながら、2時間ほど時間をつぶしても、なんか新幹線に乗る気になれず、でも駅へ向かったそのとき、携帯が鳴ったんだよね。
「こっち、来てるん!?」駅にいると言ったら「すぐ行くワ、待っといて!」と、15分後にタクシーで白杖を手に彼女はやってきた。
再会から約10年後?になるだろうか。3回目の再々会。
抱きついてきた彼女は泣いて、そして笑った。「最終までならいいよね?」と、私の返事も聞かずタクシー乗り場へ向かい、中学の同級生がやっている洒落た料理屋があるんと、住所を運転手に告げた。
また数年。お互い人生のアクがまとわりつく中で生きているような年代になり、何が良くて、何が悪かったのかも定かでないような日々を送っていた気がしていた。
一度東京(そっち)に会いにいくねと年頭に連絡があってから半年後の一昨日。
ゴメン、忙しくてなかなか約束守れんワ、いま大きな仕事を始めようと思ってて、その準備で忙しくてと、多分歩きながらだろう、ちょっと息使い荒く早口で話した。
そして、アタシね、ついにスーパーサイヤ人になっちゃったかも、と笑いながら、
30歳のカレができたんと言った。
結婚詐欺ちゃうの? やっぱり最初はそう思ったと彼女は言い、でも詐欺されるものナンもない(笑)、何よりもいま二人が目標として見ている先が一緒だったから、お互いがパートナーとしても必要な存在なんよと。
そして、いま右目はもう色が識別できなくなりかかっているとも、言った。
ま、10年後はどうなっとるかわからんけど、でもとにかくいま、お互いが必要としているのは確かやし、神様が落っことしてくれたんだって思っていると嬉しいそうに、
さらに続けて、27歳の息子は「いいんちゃう?」と、言ってくれたそうだ。
彼らは誰よりも、自分の母の生き方をそばで見てきている。
○さんのことが好きですと、告白された彼女は、多分いままでとはちょっと景色が違う人生を進み始めるんだなあ。
ほんとうに十代から、何一つ変わっていない。
ただひとつ、自分で言うのは、以前は自分のチカラで全てができていたような気がしていたけど、
違ったわ、必ずそこに人が、誰かが、いたからできていたんだと、この年で分ったと、そこがバカだったよねーと笑った。
生まれてから3回しか会ってない、親友といえる彼女の生き方を目のあたりに、自分はナニができる?と。
彼女からの贈り物と宿題をもらったような、40分の電話だった。
さて直近の宿題は、締め切りですね(笑)。